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Channel: ジョジョ好きの奇妙な日常
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【考察】花京院典明について考える その5

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まだ続いてるんですよぉ〜この記事(笑)
何年越し?
覚えててくださった方いるのかしら。

前回はこちら↓
今年の2月以来ですね…
夏はジョジョ尽くし4部尽くしだったからさ!



先日のリアル脱出ゲームで久しぶりに花京院含めジョースター一向に想いを馳せ、何となく録画を見返したコレ↓
NHK「SONGS」のスティング特集。
花京院が大好きだったとされる、アーティストですね。
今年の1月に放送してた番組です。
録画を消せないままでした。


あのときは、MESSAGE IN A BOTTLE(孤独のメッセージ)(1979)が非常に記憶に残ったのです。
花京院が内に秘めていた悲しみを表現したかのような曲だと思いました。
その前年にデビューしたスティングが、世界的にヒットしたきっかけの曲でもあります。

花京院は1970年頃生まれのはずなので(諸説あり)、8歳の賢い典明がこの曲に感銘を受けた可能性は十分ありますが、もしかしたらもっと後の楽曲がきっかけだったかもしれない…

と思いながら見てて、今回はこちらの曲が私の心にとても響きました。




ENGLISHMAN IN NEW YORK(1988)


I don't drink coffee I take tea my dear 
I like my toast done on the side 
And you can hear it in my accent when I talk
I'm an Englishman in New York 


I'm an alien I'm a legal alien 
I'm an Englishman in New York


コーヒーは飲まない 紅茶がいい
トーストは片面だけ焼いたのがいい
しゃべった時のアクセントでわかるだろう
僕はニューヨークにいる英国人さ


僕は異邦人 僕は合法的な異邦人
僕はニューヨークの英国人





自分はアメリカ人と同じく英語を話すがイギリス人であり、ニューヨークでは異邦人なのだ、ということですね。
日本語を母国語とする国民は日本国民だけなので、日本人にはピンとこない表現ですが、どこか物悲しさを感じます。

後半の歌詞に、こんな一節が…


もし「礼節が人を作る」なら
時代の英雄になれるよ
無知と嘲笑に耐えられる男に
誰が何を言おうと 自分を見失うな


ここの他にも、謙虚で礼儀正しく、まじめであるように…のような歌詞があります。
花京院のキャラクターは、この曲からもインスパイアされたのではないか?と聴いていて思いました。


ただ、残念ながら…
この曲がリリースされた頃には、花京院はこの世を去っているのです。
3部の旅は1987年と1988年の二つの説がありますが、荒木先生ご本人は1988年とおっしゃってます。
花京院はこの曲と出会うことなく死にました。
だから、花京院本人が好きな曲は、この曲ではないということですね。
生きてたらきっと、好きになったと思う。


だから私は、このニューヨークの英国人を花京院と重ねてしまいます。


僕は異邦人
僕は合法的な異邦人
喋る言葉、姿形も同じなのに、見えているものは僕だけが違う
僕は孤独な異邦人


繰り返すサビが、そう歌っているように聞こえて。


追記※よくよく調べてみたら、この曲が含まれたアルバムは1987/10/13に発売しているようです。
3部の旅を1988年11月スタートとすると、花京院がスティングの熱心なファンであれば聞いてた可能性が高い?
DIOに肉の芽を植えられたのも、花京院のセリフから推定すると同年8月頃となります。


歌詞と和訳つきですので、どうぞ。

切ないだけの歌ではありません。
むしろ明るく前向きで、自信に満ち溢れた歌です!
繰り返されるこのフレーズ、
Be yourself no matter what they say 
誰が何を言おうと自分らしくあれ
花京院はこの曲を聞いてたかどうか分かりませんが、最期まで自分らしくあったと思います。
前回までの考察にも書いたように、花京院は自分や人に嘘をついて見せかけの友情を育むより、真に心の通いあう仲間だけを求めるほうを選びました(私の見解)。
花京院は、いや花京院だけでなくスターダストクルセイダースたち、ジョジョのキャラはみんな、誰もが死ぬまで自分を貫き通しているから美しい。






この先は更に私の強い妄想癖の産物になりますが、承太郎についても一緒に考えてみます。
私の妄想として、将来アメリカ人女性と学生結婚する承太郎は、日本の高校を卒業したあとはアメリカの大学に入学したんだと思います。
高校を3月に卒業し、おそらく9月に大学入学したのだと…
となると、だいたい1〜3月頃(もっと早いかも)に出願するはずで、あのエジプトへの旅に出てDIOと戦ってた承太郎は、既にアメリカの大学に入学する意思を固めてたと見ていいでしょう。
カッコいいですね!

そしてそんな承太郎に、花京院は旅の50日の間にたくさん感化されたと思うのです。
狭くて苦しかった世界は、とても大きく広がったと思います。
はっきりとした将来の夢が、見えたかもしれません。

ここでスティングの話に戻りますが、彼はデビュー前までは小学校の国語教師だったそうです。
“もしも花京院が生きていたらどんな職業に就いたか”と考える方は多いと思いますが、私は教師に一票入れたくなりました。

まっあの旅から無事に帰れたとして、センター試験の日程過ぎちゃってんだけどね!(笑)
ってセンター試験が始まったのは1990年だったわ…
それ以前に50日も無断欠席してるし、転校手続きだって本当にしてたのか怪しいし、留年確定だと思います。
承太郎はあれから猛烈に補講を受けて、卒業させてもらえたんでしょう、きっと。
花京院が高3だったのか高2だったのか不明ですがね…







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さて、次回からはまた原作シーンを振り返りながらの考察を続けたいと思います!




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